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心の奥の葛藤

宗教二世という言葉を知ったのは数年前。

今、50代です。

大慈会という宗教団体を脱退したのは30年以上前になります。

私は宗教三世です。

青年部という場所に中学生の頃から入らされていました。

まともに反抗期もないような子で、どんなことも逆らうことをしませんでしたが、その頃から少しずつ会に携わる人たちの言動や行動に対して疑問は増えていったと思います。

高校生の時に勧誘活動をさせられるようになり、自分はさほど信じていないものを人様に勧めている自分がとても嫌でした。

人に何かを押し付けるようなことに違和感を感じ始め、ある日行かない勇気を持ちました。

ずっとやらない勇気が持てなかったんだと思いました。

そこから月例会のようなものにも行かない選択をしてみました。

ずっとずっと、『やらない』ことが不幸になる、何か大変なことが自分に起こると信じ込まされていたんだと思います。

行かない選択をしてみたら、何も起こらなかった。

でもそこから私は30年もの間、何も起こさせないためにがむしゃらに生きてしまいました。

苦手なことも無理してでも克服していかないと、何かが起こるかもしれないという不安が私の中に残っていたことを最近気付くこととなりました。

何も起こるはずのない未来にずっと怯え、目の前に当たり前にある幸せを幸せと思えなかった。

その幸せを得るために、毎日が試練なのだと。

どなたかの記事にも書かれてありましたが、何気ないことにも幸せを感じる毎日でありたかった。

自分の人生は苦しむためにあるものではなかったはずなのに。

ちょっとケガをした時でも、ついてないなと軽く流すのではなく、もっと大きなケガにつながるのではないかと自分で不安を煽っていました。

それは私の生活の中に染み付いていて、知らない間にいつも私を苦しめていました。

ずっと何が私を苦しめているのかがわかりませんでした。

不安に不安を重ねている自分に気付けず、私の心に限界が来て、カウンセリングに通って自分と向き合うことをしてみたら、ようやく自分が洗脳されてることに気付けました。

信じていなくても洗脳はあるんだと頭と心は同じようで違うことがわかりました。

やっと何に苦しんでいたのかが見えました。

それでも不安は私を襲います。

でも、それが洗脳だとわかったから、そこに不安を感じる必要がないとわかったから、少しずつその不安を自分で解消していこうと日々、そんな苦しむ考え方から、苦しまない考え方に切り替えていくように心がけています。

自我が目覚める前に教え込まれたものが、こんなにも自分の中に残るものなんだと恐怖を感じます。

無意識の中にそういうものだと刷り込まれることは宗教に関わらずあると思いますが、それが間違ってることになかなか自分で気付けません。

気付けたとしても逆らうことに恐怖を覚えます。

自分の心の奥で、やりたくない!って気持ちとその恐怖がずっと戦っていたんだと思います。

信じる気持ちは人を強くするので、宗教自体を否定する気持ちはありません。

きっと宗教二世たちが心から望むことは、信じるものは押し付けられるものであってはほしくないことだと思います。

子どもが共に活動していて、その子も信じてるに違いないと大人が思い込まないでください。

押しつけたつもりなんてないと言われる親御さんもいますよね、きっと。

親は子どもを守りたいんですから。

守り方が間違ってる。

押し付けているのは、確実に周りの大人です。

信じる気持ちが押し付けに変わっている。

信じる気持ちはたとえ子どもであっても、それぞれ自分だけのものです。

でも子どもだからなかなか正しく選択出来ない。

それを大人みんなが自覚出来たなら、宗教二世なんてなかったんじゃないかと思えてなりません。

ここで申し上げたことは、あくまでも私個人の考えや経験です。

みんな似ているようでみんな違う人生だから、私の話を自分と切り離して考えていただきたいです。

そういう私こそ、人の話も自分に重ねて苦しむ考え方しか出来なかったので。

まだ私も簡単には抜け出せないものを抱えています。

それでも脱退してからとても世界が広がりました。

いろんな人の考えが知れて、自分がおかしいのではないかという不安もありましたが、そこは違うと思える毎日を過ごせたのは良かったです。

それでも自分の考えがどこまで正しいのか?といつもいつも不安だったんだと思います。


私のように、自分が何に苦しんでいるのかがわからない人へ

そんなに苦しむ必要はない。

自分は苦しむために生まれたわけではない。

一度きりの人生、これから私は毎日幸せを探しながら暮らしていきたいと思います。

いつかその不安から抜け出せますように。

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