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霧夜#2 続・エホバの証人がアメリカ発の組織である事について考えてみよう

はい、では続きをお話していきましょうか。

先回、どうもアメリカ向けの宗教の布教はもしかして「ものすごく事細かくルールを決めたがる」のではないかと考えたと記しました。

「ルールを守る事は大事」だというのは日本人でも教わっているわけですけど、その徹底ぶりが違うんですよ。

以前、夜にやっていた神権宣教学校で壇に上って演説していた若い兄ちゃんが「動機が良くてもルール違反はいけない」と言ってペレツ・ウザの話をしていた記憶があります。

サムエル第二6:6~8にある、牛を使って運搬していた、なおかつ触っちゃいけないと言われていた「神の箱」がひっくり返りそうになってとっさに手を出して天罰食らって死んだ挙句にこの件でダビデが激怒したお話ですね。

あとはソロモン王の記した箴言11:2に「僭越さが来たか。それでは不名誉が来る。」という聖句がありますわけでこれの典型例だというお話なわけですね。

さてこの件についての主張をけして間違っているとは申しませんが、しかしよく見てみると、ウザの取った行動は日本人の、特に我々より上の世代の日本人たちと見比べてどうでしょうかね。


無茶苦茶重そうなので、少なくとも「安全第一」の観点からすれば不用意に手を出したこと自体は大いに問題ありそうなのですが、それは置いておいて「指示されてない事をやる」と言う点を考えてみましょう。

日本人の年寄りの様子を見てみると「不言実行」を美徳にしたり「物事が何でもマニュアル通りに行くわけがない」などと決めごとを堂々と軽視する発言を行ってみたり、そして何かの祝いの席ではまるで不名誉な事であるかのように「僭越ながら祝いの言葉を述べさせていただきます」と言っていたりするわけですよ。

要はアメリカでは「僭越さは不名誉が来るのでやってはいけない」と考えるのに対して日本では「僭越さは不名誉が来るのでその辺は覚悟して取り組め」と考えているんじゃないかと。


さて、当時学生だった僕はそんなこととはいざ知らず、なにより上記の神権宣教学校の件もありまして、僕は「世の中は言われたことだけをやって余計なことをしない事こそが最も正しいやり方」と考えるようになったわけですよ。

…学校にいる間はそれでも何とかなったわけですよ、むしろ学校ではルール等を教えるのが役割ですしね。

いや厳密にはかなり変なやつに見られていたようですが、とりあえず何とかなりました。


が、ところがいざ仕事を始めて見るとどうでしょう、口先だけは会社の上の方も「言われたことだけやって余計なことをするな」とは言うのですが…

しかし先述の通り上の世代の人たちは上から何かを言われる前に率先して行動することを美徳としたせいで、後の世代にきちんと言葉で必要なことを説明する能力が不足しているんですよ。


とりあえず例を示しましょう。

やや極端かもしれませんが分かりやすいと思いますし。


僕は自動車の工場に就職したので工場の建屋の高速シャッターがついているところを出入りする事が多いわけですよ。

どんなものかは図1を見てほしいのですが、高速シャッターには運搬車両が近づいてくると自動ドア宜しくシャッターが上昇するセンサーがついていて、さらにその横には歩行者がシャッターを手動で開けられるボタンがついております。


…で、就職してから会社の上からは「安全のために、見よう見まねで工場の設備などのボタンを押したりするな」と指示されておりましたもので…

しかし「押しボタンを押せばシャッターは開くものと言うのは見ればわかる事だろう」というわけで(当然自分も見て分かってはいる)、あまりにも当たり前のこと過ぎて、誰も「シャッターのボタンを押してよい」という指示を与えてくれるものもいません。

すなわち 僕 は シ ャ ッ タ ー の ボ タ ン を 押 す と エ ホ バ に 殺 さ れ る ことになったわけですよ(図2)。


少なくとも自分の中ではそういう事になってたんですよ!!!

伝道している人ならば「不完全な人間の僕を許してね!」で済むかもしれませんけど意地でも伝道をしたくない僕は別の所でエホバの好感度を稼がなきゃいけないんですよ。


というわけでやむを得ず僕は車両が近づくとシャッターが開くセンサーを作動させて通り抜けていたわけです(図3)。

これならボタンを押したことにならないからエホバに殺されないで済むぞ!などと考えて。



しかしですよ、ちゃんと素直にセンサーが反応してくれればいいんですけど、中には人間位の大きさではなかなか反応しないセンサーがついたシャッターとかもあるもので、何とか反応させようと悪戦苦闘しているうちに、ある日着けていた前掛けがシャッターに巻き込まれてしまいました。

高速シャッターってビニールを巻き取る太くて重い金属シャフトを上下させますからね、人間なんかも簡単に持ち上げますんで僕一人なんていとも簡単に一瞬で持ち上げられました



が、幸いなことに古くなっていた前掛けの紐が千切れかかっていたおかげで僕は上昇中のシャッターから落っこちて九死に一生を得ました。

しばらくしてシャッターに巻き込まれていた前掛けがひらりと舞いながら地面に落ちてきました。


いやーだいぶ前の話ですけど思い出してみるとゾッとしますね、エホバに殺される前に機械に巻き込まれて死ぬところでした。

もし死んだら現場検証でも「こいつなんでこんな死に方したんだろう」と皆様首をかしげていたことでしょうね…。

まーこの辺は意地でも伝道をしたくない一心の僕のような極端な例かもしれません、先回悪者のようにご紹介した長老も、僕の振る舞いについては色々思う事があったのか、伝道の書7:6の聖句を僕に見せてきたことがありました。

「義に過ぎるものとなってはならない。また、自分を過度に賢いものとしてはならない。どうして自分の身に荒廃をもたらしてよいであろうか」

さすが賢王ソロモン、この人未来に生きてますね!!!


というわけでですね、日本で暮らしていくためには「適度な僭越さ+それによって被る恐れのある不名誉に対する耐性」がないと冗談抜きで死ぬのではないかと思うわけですよ。


…この話は極端な事例でしょうかね?

今から思えば自分でもそうかもしれないともちょっとくらいは思ったりはするんですけど、よく集会に行っていた頃、教科書通りに正しければ相手がどんなに不快な思いをしても構わない勢いで善意の押し売り大好きな姉妹とか見てますと似たようなことを考えてるんじゃないかなーと思う事は度々あります。

また仮に上記のような事が実際に極端な例であったとして、そこまでひどくなかったとしても生産ラインで仕事をしているとこういう状態では色々と支障が出てくるわけですもので、もう少しその辺の話と、どうやれば良かったのだろうかと言ったお話でも書こうかなと思っております。


えー、今回はいかがでしたでしょうか。

別に僕アメリカで暮らしたりしたわけじゃないのでかなり推測が混じった話なので読者が生活で支障がなければ笑い飛ばしてくれればいいんですけど、もし人生で行き詰まったりして「もうムリ死ぬしかねぇ」等と思っていたらこんな話をちょっと思い出して、何か役に立つ部分が無いか探してみてもいいんじゃないでしょうか?

死ぬ前くらいだったら安いものでしょ?

と言うわけでまた次回宜しくお願いいたします。

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