top of page

心情サツバツ論

 この記事では神の子と称された(自称)なのちゃんの心を記した記事である。より内面的で個人的なことを書くつもりだが、所々あいまいにさせていただく。ネット怖いんで笑

 一応、前回の記事を下に載せておくが読まなくたって問題ない。私のための記事だから。


一切の信仰を持てなかった二世の物語


「幼少期~小学校」

 ほとんど記憶にない。兄や姉が親の力で泣く泣く教会に行かされるのを見て育った。私は教会は嫌いだったが、面倒だったので逆らうことはあまりなかったと思う。めっっちゃ嫌な習い事の感覚だった。ただ、本当に泣くほど嫌な時もたくさんあった。

 母は私を最後の希望として産んだらしい。国際祝福がのため祖母は母に当たりが強かったらしい(記憶にない)。それ故に兄達があまりにも教会が嫌いで、母を嫌っていたらしいのだ。

 私は兄たちとは違い、末っ子で歳の差もあるからか両親の目にかけられていた。兄らは気性が荒く、優しい時はあるものの、怖いイメージがあった。

 


「中学生」

 コンプレックスが大きく芽生えた。教会の方針で部活に入ることを諦めていた。そして、薄々と家が貧しいことに気づいていた。クリスマスなかったし、貯めてたお年玉はいつの間にか制服になってた。私はお金のかかると思ったのと二世部が教会のために帰宅部ばかりだったので部活には入らなかった。

 中学時代はほとんど何もしていない。兄姉らも家を出てほぼ一人っ子状態であった。


 高校受験を迎えた。私は公立と滑り止めの私立を一つずつ受験した。私立では運よく特待生を頂き、入学手数料の多くが免除になり、1万円だけ支払うように案内された。私は嬉々として母にお願いしたが、「公立に受かればいいんでしょ?」と一度拒否されたのを覚えている。幸いにも公立高校に合格することができた。


 中学ではほとんど友達との思い出がない。強いていえば受験のときに一緒に勉強していたぐらいだ。ほとんどが教会に時間が消えていた。無意味にも。

 そしてこの時期に父が大病を患い、仕事をやめて貧困が決定的なものとなった。ICUへのお見舞いも面倒で1週間も持たなかったと思う。私は親のことがあまり好きな人間ではないなと思った記憶がある。



「高校生」

 この時代は貧しくも最高な学生時代だった。もちろん部活はできなかった。しかし教会の時間的制約から大きく解放された。コロナ禍の到来である(不謹慎な表現でごめんね)。コロナの影響で教会に行かなくてよくなったし、私の身体的な力は病気になった親よりも大きくなった。


 もともと話す方ではないが、親との会話はなくなった。


 親が教会の話をするたびに「やめて」って言い、常に部屋に閉じこもった。1度二世部長が来たときは、部屋にバリケードを張ってたと思う(笑)。


 中学同様にほとんど外で遊んだ思い出はない。コロナもあるがそれ以上にお金がなかった。学食を抜くこともあったし、冬は食パンにコンビニのおでん調味料で味をごまかす時さえあった。遊ぶ服がなかった。下着もおさがりで、漫画みたいなボロさだった(笑)。

 ほとんどが進学する高校だったので少しずつ大学を意識して塾にも通わせてもらった。でも、お金がかかるので授業は取らなかった。


 高校3年生になり本格的な受験が始まった。私は県外の国立大学を目指していたし、順調な道のりだった。ただし、三者面談で絶望した。「地元しか通わせられない」私にとっての死刑宣告だった。このころの私は県外の大学に行けば「我慢」が終わると信じていた。しかも、私の学びたい学部はなかった。


 色々と飛ばすが浪人の末に結果的に私は地元の医学部に進学した。

予備校の免除制度で大学に通うよりも浪人費用が大きく安く済んだので親も承諾したし、私の妥協点でもあった。

 

 高校時代までは服もご飯も遊びもロクに知らなかった。知らないようにしてた。高校を出て働き丸くなった兄が私にゲーム機を与えてくれた。唯一の娯楽だったかもしれない。



「大学生」

 コンプレックスが最高潮に達する。バイトもして使えるお金は何倍にもなった。しかし、学費や教材、免許とか医療費もほとんどを奨学金とバイトで賄った。部活も始めて、必要なこと、やりたいことのためにコンビニの夜勤とかいっぱい働いた。コンビニのご飯いっぱい持って帰って晩餐してたな(笑)。でも、周りの環境には勝てなかった。いつもスマホで電卓を開き、通帳と睨めっこをしてた。大きな支払いの度に心をすり減らしてた。親から「学費が払えない」とも言われた。学費滞納で除籍注意のハガキだって届いた。


 大学生活はいつだって私の心を刺激した。やっぱり周りはお金持ちが多かった。大学の先生が「みんなは親に学費を払ってもらえて~恵まれてますね」みたいな話をしてた。周りにみんながいるのに、下を向き、顔を真っ赤にして泣きそうだった。泣いてたかも。講義後に教授に直接メールを送ろうか迷ったくらいには憤った。

 部活の大会にはもう行くのをやめた。もうお金が払えないから。無理したくないよ。たまに後輩をご飯に連れていくが「たまに」で申し訳ない。よく誘ってくれてありがとう(泣)。


 大学の友達とは金銭感覚が合わないからほとんど遊んでないし、お酒もあまり飲まない。悪い人達ではないけど、ほんと些細なことで私が勝手に嫉妬して羨ましくてムカついちゃうんだよね。


 大学の周りは親のカード、車、一人暮らし、お金、なんだって持ってる。なんなら容姿もよく見えるよ。

 私が持ってるのは1000万近い「奨学金」って名前の借金(泣)


 大学のみんなは、私より勉強はできるし他のことも知ってて、いろんなものを持ってたよ。莫大なコンプレックスと奨学金を抱えると同時に、こんなに家庭環境に恵まれた(私基準)人たちに肩を並べられたことに少しながら誇りすら感じてる。


 親とも何度もぶつかった。教会なんて行きたくなかったし。親は学費に関しては土下座してた。申し訳ないらしい。でも「お前には心がない」「教会は心の学校」とかいって教会に行かせたことは間違ってなかったと思ってるみたい。ここから親と「今」話すのは完全にやめた。親とは到底思えなかった。

 

 散々とお金のコンプレックスを書いてきたが親に対する怒りはお金ではない。コンプレックスはあるものの、理解はしている。仕事がまともにできない状況にも。貧困は誰にも起こりうるし、仕方がないってね。

 怒りの本質は、親の態度にあるのかもしれない。まず、私の教会に対する思いを「嘘」だと言い張っている。自身の健康グッズにはお金を使うこと。低温調理器具はまだしも水素水やプラズマ水などの如何にも怪しいものもあった。もちろん高麗人参も(笑)。そして健康には自信があるのか、受験時に私のワクチン接種券を隠したりした。医療系に進学してんのに、なんで親が反ワク反医療なの??って感じ(笑)。関わりたくない。


 もう中高生の頃には戻りたくないかな。我慢もいっっっっぱいあったけど、あの頃の我慢は知らないからできた我慢だと思う。


 おまけ

 付き合いの長い友達らに統一教会カミングアウトした。最初は信じてくれなかった。謎に韓国語に詳しいこと、部活をやってなかったこと、ダイエットと称し学食を抜いてたこと。少しずつ点と点がつながったようだ。聖歌でイントロドンをしたら一発で信じてくれた(笑)。

カミングアウトして天才じゃん!!って言われたときは報われた気がした。今では宗教ネタでいじったりいじられたり(笑)


ラクガキ

 私にとって進学が人生のプラチナカードだと信じて仕方なかった。貧しさから救ってくれると。もし子供がいるならお金の苦労は掛けたくない。もちろん友達にも困ってほしくない。

 大学に行けるだけ恵まれているという意見も分かる。部活も何もない私の学生生活は少しの勉強で友達と切磋琢磨することが学生としての生きがいだったのかもしれない。進学したかった。

 楽器も少ししてるしお金持ちだと良く勘違いされるよ。ハリボテのお金持ちです。いまだにバイトいっぱい掛け持ち泣。でも奨学金のおかげでたまーに大学生らしいことできてる。

 大人はズルいよ。正直、昔の厳しかった二世部長や親を一発ぶん殴ってやりたいのに、老いぼれに手を挙げるほどガキじゃなくなっちゃった。最初に向こうが手を挙げてきたくせに

 Twitterを始めたのは高校生の頃で、頑張って貯めたお金でめっちゃ型落ちしたスマホ買ったんだよね。周りがiPhone11とか使ってる中で7とか兄のお古で5s使ってた(笑)。


 いつも仲良くしてくれてありがとうなんだよー。いつかまたどこかで

 知らない人も見てくれてありがとう。





 


 
 
 

最新記事

すべて表示
今思うこと

統一教会に解散命令が出ました。 記事でチラッと見た限りですが、教会側は、悲しむ信者の声が…ということを言っているみたいです。 強盗がナイフを突き立て 「人質がどうなってもいいのか!」と言っているイメージが浮かぶのは私だけでしょうか。...

 
 
 
母との関係

この記事は誰かのための道しるべでもなく、誰かへのSOSでもなく、ただその時感じたことを記録として残しておくためだけのものである。 ※自身のnoteに書いた記事のセルフ転載です。 2025年現在の関係 著者子供時代と母 実家を出てから 銃撃事件後の1年間 現在の想い...

 
 
 

コメント


©︎ 

2020  宗教2世ホットライン 

bottom of page