活動をしなくなったこと、教義に反する行動をしていることに罪悪感を抱いている方へ

最終更新: 2020年5月6日



一度でも宗教を信じた方の中には信じなくなった後も活動をしなくなったことや教義に反することをしているという罪悪感に苦しんでいる方が多くいらっしゃるかと思います。私もその一人でした。


まず、教団から離れることが悪だと教えているカルト教団が多いように感じます。

教団を離れると地獄に落ちる、楽園に行けないなど。


昔読んだ教団の本にも退会した方が全身をガンに侵されている描写がありました。そのため、わたしも宗教を信じられなくなった最初の頃はとんでもないことが起こるのではないかと怖かったことを覚えています。


「教団に対しては不信感だらけでもう信じられない、でも、もし、本当にこの教団が正しいとしたら?わたしはいつか本当に後悔するのだろうか?」と日々悩みました。


しかし、今はもう恐怖を感じていません。昔から母親にこの宗教を信じて祈るだけで素晴らしいことと教えられてきました。その素晴らしいことを長年実践してきた私がそれを途中で辞めたからと言ってとんでもない目に合うのだとしたら、この宗教に出会っておらず祈ったことすらない人たちはもっとひどいことになっているはずです。


しかし、実際はそんなことはありません。この宗教を実践することが良いことであるのにやめた瞬間地獄に落ちるというのであれば最初から出会わない方がよかったということになります。そのような矛盾に気がついた瞬間にやめたら地獄に落ちるというのは教団から抜けさせないための脅しだということに気が付きました。


また、教団によっては男女交際禁止を禁止していたり、選挙にまで制限があったりと禁止事項や制限が多数あったりします。そのような教団で長く過ごしてきた人々の中には教団から離れた後も禁止されていた行為を行うことに罪悪感を覚えている方もいらっしゃるかと思います。


私の所属していた教団では幸い禁止事項は多くなかったように感じます。しかし、京都・奈良での修学旅行の際にはお寺や神社での参拝やお守りの購入を禁止されており、皆と同じようにできず悲しかったことを覚えています。活動をしなくなり、お参りをしてみたいと感じたことは何度もありますが、何か起こるのではないかという恐怖から中々行くことはできませんでした。


教団を信じなくなり、活動をしなくなってからお参りに行けるようになるまで5年近くかかりました。長年信じてきたものをやめる・長年禁止された来たことを行うということに不安を感じることは普通なことだと思います。


しかし、自分の気持ちに嘘をついて無理に信じようとし続けて、宗教に時間やお金を使う必要はどこにもありませんし、宗教の教義にとらわれて行動を制限される必要もどこにもありません。宗教は心の拠り所として存在すべきものだと思います。


活動が負担になっていたら宗教の意味はないと思います。信じられなくなったからと言って何も怖いことは起こりません。


自分が信じたいと思うものを信じてください。


自分の過ごしたいように過ごしてください。




しかし、活動をやめたからといって無理に普通の人の生活に合わせる必要もどこにもありません。


ゆっくりと自分のペースで生きていけばいいのだと思います。


宗教を信じていた分だけ普通の人と同じ生活ができるようになるまで時間はかかると思います。しかし、無理せずにゆっくり自分のペースで心を整理していってください。どこかで自分自身の気持ちを吐き出せる場所を作ったり、信頼できる人に相談したり、方法はたくさんあると思います。


私はネットという場所を選びました。世間ではなかなかカルト2世、3世で苦しんでいる仲間を見つけることが出来ないかもしれませんが、ネットの世界には沢山の仲間がいます。


これを読んでくださっているあなたも一人ではありません。

少しずつ自分らしく生きられるように一緒に頑張っていきましょう。


ヨルム

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