2世の私が信仰を捨てた理由。そして今「宗教」に対して思う事。

最終更新: 2020年5月6日


私は韓国人の父、日本人の母を持ついわゆる祝福二世です。


きっとこの記事を読んでる方は、宗教は違えど辛い悩みを抱える方だったり、自分の思いに行き詰まった人だったり、はたまた興味本位でネットの海からこれを見つけた方かもしれません。


そんな方になにかアドバイスを…とも考えたのですが、家庭環境や思いの辛さ、親の金銭感覚とか千差万別ですよね。 そんな私は宗教で悩む時、ほかの二世はなにを考えながら生きてるんだろう、悩んでるのは私だけだろうか、非常に興味がありました。


なのでここでは、私の人生をベースに、テーマに沿った話をさせていただきます。

共感したり、自分の環境と照らし合わせたりして、こういう考えのやつもいるんだなー程度に思ってくれたら嬉しいなって思います。今回は私が信仰を捨てた理由と、「宗教」に対して今思う事を話していこうと思います。


「神様のおかげ、サタンのせい」

良いことがあったら神様のおかげ、悪いことをしたらサタンに仕向けられた。神様が警告してる。こういった都合の良い仕様にがんじがらめにされてるのが嫌でした。


「へそ出して寝ると雷さまにヘソ取られるよ!」これと同じ次元だと思うんです。

悪いことはどんな良い行いをしててもあります。良いことはどんなに悪い奴にも訪れるんです。 先祖の積んできた徳が関係するなんてどこの誰が見たんでしょう。


人間は今まで何かを信じて裏切られての歴史の連続です。日本だって、天皇を神と仰ぎ、命を捧げて人殺しをしてました。それが良いこと、天国に行ける方法だからです。それもアメリカに負けて玉音放送「私は人間です」これだけで信じてたものが崩れ去ります。悪名高きオウム真理教の教えを心の底から信じてた人もいるんです。


人はこの世の誰かが作った、いずれかのストーリーを信じてみんな生きてます。宗教をなにも信じないというのも、これも一つの誰かが作ったストーリーなのかもしれませんが、心が拒絶するストーリーを信じて、気持ちに嘘をついて生きるなんて馬鹿らしいと思いました。



昔と今は大きく違う

なにか知りたければ本屋に行かなきゃいけない、よく知ってる大人に聞かなきゃいけない昔とは違います。この情報が溢れる現代社会で、それが胡散臭いと感じてしまうのはどうしようもない当然の帰結です。


宗教はあくまで「人を集団に纏めやすくするウマいシステム」でしかないと私は思います。宗教というのは世界中の歴史を見ても、国民の求心を高める道具、金儲けの道具、なにが善でなにが悪かを知らしめる道具として使われてきました。


一番最初に宗教を作った人は、本当に世の人を幸福に導く為に作ったのかも知れませんが、統一教会も結局他と変わらぬ誰かの利権の為の、腐敗した成れの果てまで落ちていくのです。韓国人が大嫌いな天皇陛下バンザイとなにも変わりません。



面倒くさい

身もふたもない話ですが、非常に面倒くさいです。自分から統一教会に入った一世はいいかも知れませんが、生まれながらに押しつけられた私としては最初から最後までずっと面倒くさかったのです。


自分で観たいと思って、探して観た映画やアニメでめちゃくちゃ面白いものがあったら、人に勧めたくなりますよね。宗教も一緒です。


そして誰かに勧められて観た映画がつまらないなんて人それぞれの感性や価値観でしかありませんよね。宗教も一緒です。


「いや何言ってんだ!これ面白いんだって!もっとちゃんと見ろって!なんでわからないんだよ!わかんねぇ奴とは絶交だよ!」って言われても鬱陶しいしめんどくさいし殴りたくなりますよね。宗教も一緒です。



おわりに

結論として人は、信じたいものを信じて生きていきます


死んだ後どうなるかなんて誰も分かりません。どこかの誰かが作ったストーリーを信じて生きるんです。その中のどれに幸せを感じて生きるかです。


ジェロニモ



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