これを読んでくださる皆様はじめまして、ハンドルネームを霧夜と申します。
自分が二世…と呼ぶのが正しいのかは少々事情が特殊なせいで怪しいかと思います。
というのも僕が小学校の頃、母親がエホバの証人の研究をしているのが元で自分も研究を始めましたわけですが…
で、母はだんだんやる気が無くなって研究をやめてしまったのに対して、当の僕は信仰心だけはしっかり持っていたものの人にお願いするという事が大嫌いだったせいで意地でも伝道をしないまま自分が覚えている限り19歳ごろまでずーっと研究生で通して毎週の集会や大会にだけはしっかり通っていた状態で、要は母も自分もとうとうバプテスマは行わずじまいだったわけです。
でもそういうわけで少なくとも7年以上は付き合いがあるわけで、「伝道をどうしてもやらなきゃいけない立場になる前に早くハルマゲドン来ないかなー」なんて思っていた僕なんですけど、そんなことを考えるくらいだから布教活動以外はできる限り頑張っていたつもりだったんですよ。
が、18歳になって自動車の工場で働くようになってですね、言われたとおりに仕事をしているはずなのに必要な仕事ができていないと怒られる毎日にずっと悩んでいて、集会でも泣き言ばかり言うようになったんですけど、これに対してある日、所属していた会衆の長老が僕に言ったのはかいつまんで話すとこんな感じですよ。
「君は年寄りみたいでやる気がないね、君なんかより頑張っている人が沢山いるんだよ」
ええショックでしたよ、伝道以外はしっかりやっていたつもりでしたからねぇ…
それから徐々に集会にもいかなくなり、自然消滅と言う形になったわけで、それ以来もし「将来の夢は?」と聞かれたら「エホバを呪って死ぬことです!」と答えるような人間になってしまったんですけけどね…
が、その後の事の細かい経緯を話すと長くなるのでここでは割愛しますが、色々あってある日アメリカ人向けの仏教伝道の本を読んでみて思ったことがあるんですよ。
「この本、エホバの証人の出版物と似ているところがちょくちょくあるぞ…」
偶像礼拝とか同性愛やめろとかそういう教義そのものもそうですけど、何より一番注目したのが、「こういう条件がそろったときはこういう動きを実行しなさい」というのを具体例とかガイドラインとかを作ってやたらと細かく指示するところですよ。
それで僕は思いました。
今までエホバの証人の教義に間違いがあるから多くの人が苦しむのだと思っていたけれど、実際にはそれ以前に「日本人に対してアメリカ人向けのやり方をしたこと」がまず最初の問題なのではないかなと思ったわけですよ。
コリント第一9:19~23で「周りの言う事を守る義理はないけど少しでも救いたいから周りに合わせてやってあげるんだ」っていう感じのパウロが書いたお手紙がありましたけど、もうエホバの証人が日本に進出した時点でこの点で躓いてしまっていたんじゃないかと。
統治体もちょっと気にしているフシは、ものみの塔だったか目覚めよ!だったかにちょっと記事が書かれていたのを覚えていますが、彼らが思っていた以上にこの問題はよく考えるべきでったのではないかと思うのですよ。
…と、もうちょっと続きを書こうかなとも思ったんですけど僕自身が長文を読むのが嫌いなのでこの件の続きはまた次回の記事に書きましょう。
ここで上記の辺りの自分の考えを書いた後、お仕事で自分と同じように悩んでいる人もいるんじゃないかとも思うのでその辺のアドバイスを書こうかなと考えています。

あっちなみに今回の写真は、何か見出しの写真を入れてみたかったんですけど思いつかないので中学生の頃にもらった新世界訳聖書です、もう若い頃にさんざん開きまくったせいでマタイ辺りはボロボロになってますが、38歳になった今でも未だに聖書からネタを引っ張ってきての動画を作る時などに現役です、後ろの索引はそれなりに便利ですからね。
それでは皆様、今後ともどうかよろしくお願いいたします。
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