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霧夜#5 続・お仕事と言うものについて考えてみよう

お久しぶりです。

Wixの編集画面に移行するページが表示されなくなってしまいまして、「管理者の気に障るようなことでも書いたかな」と思いつつ、他にやる事もあったので諦めていたのですが、しばらくしたら別の共同管理者の方が「似たような状況に陥っている人がいたようだ」と、再招待の手続きを行ってくださいまして舞い戻ってまいりました。


あと自分の書いている文章、見てくださる方もいるんですね、ありがたい限りです。

今では統合失調症患者にベンゾジアゼピン系抗不安剤は使わないそうですよ、技術の進化を祝うべきか、実験台や金づるとしていいように使われたことを呪うべきか…。

まあどのみち理由はどうあれ使えるかどうかわからないものを、僕を実験台にして精神科医が投与してきたことに変わりはありません

なので引き続き「もう死ぬしかないと思ったらその前に断薬してみたら?」と言う考え方は垂れ流していくつもりではいます。

こんなことを書けるくらい苦しかったんですよ。

仮に自分の意見が間違っていたら自分が叩かれるだけで済むけれど、もし投薬の方が間違っていたのに誰も何も言わないと沢山の人が不必要に苦しむことになりますからね。

しかもその状況が、医者の忠告を無視して薬をやめたら元気になったときたのですから、人間不信になってこんな事も書きますよ。


閑話休題、以前投稿しようと思って投稿できずじまいの文章が残っているので、ここからはもう少しお仕事選びについて思う事を書きましょう。


地味で面白くなさそうな仕事がかえってコスパのいい仕事かもしれないっていう話は前回行いました。

もちろん面白くなさそうな職場の中でも色々ありますから、最初のうちは色々試すのもいいかもしれません。

例えば工場勤めの生産ラインの中でもですね、「組み立てラインなら面白くない仕事である分、人の入れ替わりが激しくて、長くいるだけで評価されやすい」とか言うんですけど、組み立てに送る部品を削っているラインにいた自分としては「組み立てラインにいるとこの場所よりは服が汚れなそうだし加工不良に神経を尖らす心配がない分精神的に楽だろうか…?」なんて思ったり、恐らくどこに行ってもリスクとリターンと言うのはついて回るものだと今では思っております。

それではそんな地味で面白くなさそうな仕事選びをしようと思った場合、何が良いのかを考えてみましょう。


それでなのですが、なんか最近ブラック企業がどうとかいう話で思う事がありましてね、結論から言うとですね、ちょいブラックくらいがいいんじゃないかと思うんですよ。

いやいやいやいやいや、よく世間で言われる労働者と雇用者のありかたについては以下の図1のようにお互いルールを確実に守れば何でもうまく行くように思うのですが…



…ですが、聖句から引っ張ってこいと言う話になると伝道の書7:6の「義に過ぎるのも考えものだよ」というのが現実なのです。




これに対してブラック企業って言うのは、与えられたルールをちゃんと守らないせいで労働者から搾取を働いている、図2のような状態を指していると皆様言うわけですね、これは現在事実と言えましょう。


…が、自分の勤め先…というか恐らくは他の企業も…今でこそコンプライアンスがどうとかものすごく細かくなってきてるんですけれども、そうなるよりも前の話として聞くところを考えてみましょう。

なんといいますか、なんだか自分が勤め先に入った頃の様子を見ると「人間の作ったルールを守り切れないのはお互いさまでしょ?」っていう労使の暗黙の了解があったんじゃないかと言う気がするんですよ。

これを図にしたのが図3です。





そうなんですよ、労働者も雇用者も人間ですから、間違いを犯すのは割り切っていたんじゃないかと言うフシがあるんですよ。

例えばですよ、現在にしたって当てはまる事ですが、何かの拍子に仕事で使う文房具とかネジとか、要は会社の備品を自分の服のポケットに入れて、うっかりそのまま持って帰ってきてしまった事ってありません?うっかり持ち帰っちゃったときに取り繕うシーケンスが社則に書いてありますか?それ下手すると厳密には横領になりかねませんよ

で、会社としてはそういううっかりミスをいちいち監視するのに莫大なコストをかけるより、多少のミスや結果的な横領や新兵器の持ち込みには目をつむって、その分だけ会社や周囲の顧客などが行ってほしいと思う事を予想して、誰かに頼まれる前にやってあげる、そう言う形で雇う方も雇われる方も共存共栄できていたのではないかと。

そんなのだから、いつか目にしましたけど「昔は某ローカル線で電車に乗り遅れて遅刻しそうな子を運転士さんが出発時刻を過ぎても待っててくれていた」なんていう話がニュースで流れてきたり、あと自分の身近な所の話だと常連の弁当屋のおばちゃんがその店の前身となる宅配寿司屋をやっていた頃、その黎明期の出来事を聞いたら「よし私寿司屋やろう!」といって近くのチェーン店に突撃して作り方を教わったとか、今だと考えられないレベルの融通を利かす話が起こったりするわけです。


というわけで、よく「ブラック企業」って言うとルールを破って労働者から搾取する話ばかりが出てくるんですけどね、それに対する「ホワイト企業」と言うものを考えた場合、「人間が間違いを犯す生き物である」「融通を利かせる点についてどれだけ配慮しているか」と言う点についてどれくらい向き合っているかも含めて考えてその良否を判断した方が良いと思います。

ガワだけ立派なルールが存在しても、実際にそれを守ったまま他社と競争できなければ、結局は同業他社の競争に負けて会社が潰れるか、ブラック企業に転身して生き残るかの二択しかありません

無論、現在だと技術革新でよりホワイトな仕事がやりやすくなっていると思いますし、その辺の評価は貴方自身が行った方が良いでしょう。


次に「飲み会」に関して。

嫌ですよね飲み会。

ぶっちゃけ先回の記事で触れたクリエイティブなお仕事で食っていくためにあがくのに時間を費やすよりは、工場勤めになってたまにこういうのに出ても自分の自由時間にお釣りが出るとは思うんですけど、嫌なものは嫌ですね。

「なにゆえ普段顔を合わせている人間と休みの日までツラを合わせなきゃならないんだ!」と思っている人もいる事でしょう。

僕はさすがに上記のようなことまでは思いませんが、それは置いておいても休日に時間を合わせなければいけないことと、口に合わない食べ物が出る事が多いのが嫌なんで、その辺は人それぞれでしょう。

…ただこれ、給料は出ないんですけど上の世代には結構重要な存在みたいなんですよ。


例えば近所の定年になった人の話だと、その人が若い頃は部下の人事評価を付けたうえで、飲みに誘う事に応じるかで昇格させるか決めてたとか、そう言う儀式…恐らくムラ社会の名残みたいなのがあるみたいなんですよね。

そこまで大げさでなくても、「次に人事評価を上げる人間を選抜したいけど誰にしようか」と言ったときに顔を覚えられる効果はあるので、もし何かしらの理由で出世を急ぐ場合は考慮に入れておいた方が良いでしょう。

というわけで僕は…積極的に出たいとは思わないけれど、世話になった人の挨拶にはしっかり出るようにしてます、「飲み会自体は苦痛だけど貴方が主役となったのなら無理してでも出ます」アピールをするわけです。


そして次にそうやって昇格していった場合…もしそこがまだ年功序列が残っている会社だったりすると、ずーっと何年もライン作業をやっていると、そのうち他の生産ラインでの仕事も任されるようになって、だんだんラインの外のバックアップの仕事とかが増えてきて肉体的な負荷が減ってきて、賃金は徐々に上昇していったりするんです。

で、どこかで図4のようなグラフを見たことありません?





段々給料の割に仕事が楽になるように見えるのですが、よく見かけるこのモデル、大事な事に触れていません。


図4はあくまでも何事もなく平和に過ごせた場合のモデルであって、現実には図5のようになります





段々偉くなると部下が増える事によって、その分部下が不良品を大量に流したとか、大怪我したとか、自殺したとか、要は普段は楽だけど何かのトラブルの度にその責任の後始末をやる確率も上昇してくるギャンブルな仕事になってくるわけですよ。

こういった時の対応をできるだけ穏便にするためには、ライン作業で現場の問題をしっかり覚えて、そのうえでいざと言う時に報告・連絡・相談がすぐにできるようにするために、普段はあまりちょこまか動き回らずに事務所の机でどっかりと座っていてほしいんです。

トラブルがあった時にその問題の対応を投げて別の場所で処理してくれるようになっていると、普段の仕事に専念できるのですごい仕事が楽になるわけですよ。

偉い人が普段ボケーっとしているのも、ちゃんと意味があったというわけですね。


いかがでしょうかね。

自分の信念とリサーチした会社の情報と相談して、自分がやっていけそうな仕事を探すのが良いと思います。

そこで改めて、このシリーズで一番最初に触れたコリント第一9:19~23を思い出してもらいましょうか。

相手のいう事を守る義理がなくても、一人でも多く救うために周りに合わせてやるんだというパウロのお話がありましたね。

これはギリシャ語聖書のほうですけど、あと似たような話がヘブライ語聖書の方にもあります。

列王記第二の5章に「ナアマン」っていう、数千年前のはるか西方の出来事を翻訳した文章であるにも拘らずその脳筋ぶりが伝わってくる某国の軍団長がいるんですけどその人のお話。

ナアマンはらい病にかかっていて、恐らく皮膚が凸凹になって異様な見た目になっていたものと思われますが、これを治してもらいたいと思ったわけです。

で、イスラエルに自分の病気を治してくれる人がいるはずと言う話を聞きつけ、そういうわけでイスラエル側の預言者エリシャに「ヨルダン川で七回水浴びをすると良い」と言われたのですよ。

ところがこれに対してナアマンは「わざわざここまで来て、やらなきゃいけないことってのがそんなのかよ!」と怒りだしたんですけど、それに対して側近がうまく言いくるめて「超すごいナアマン様がヨルダン川で水浴びしてやってあげる」ことになったわけですよ。


ともかく事情はどうあれ彼はパウロのように近くにいた人に合わせてやってあげたわけです。

その結果ヨルダン川で水浴びしたら体が見事に癒されたとあるんですけど本当でしょうかね?あくまでも主観で「癒された」と書いてあるわけですからね。

というのもですね、らい病は直接命に関わる病気ではない上、見た目が異様っていうのは彼の職業柄必ずしもマイナスになるとは限りません。

その得体のしれない姿はヨルダン川周辺の住民に威圧感を与え、味方の士気向上に役立ったかもしれません。

ヨルダン川で水浴びをするまでの間に、「あれ?今まで俺ってば自分の体が病気だと思い込んでたけど、やっぱり最初からこれで正しかったのかな…?」と考え出したとしても不思議ではありません。

彼が癒されたのはもしかしたら、体よりも心のほうだったんじゃないかと僕は思ってるんですよ。


パウロがコリント第二13章で愛について話している中で「奇跡はいずれ役目を終える」と言っておりまして、そしてナアマンに関する件は既に役目を終えた記録だと思ったんですけど、今回自分が記したみたいに物事を違った角度でとらえると、まだその奇跡の役目は終わっておらず現在の我々もそれを享受できるのかもしれません


結論を言いますと、他人のまた聞きだけで仕事の善し悪しを決めるより、他人のまた聞きを元にしたうえで自分自身なりの捉え方で色々なものを見て、自分に合った方法を探しつつも、必要に応じて周囲に合わせて行動してみることを考えてみれば、もっと貴方が生きていける場所は思ったよりたくさんあるのではないでしょうかと思うわけです。


えー、ここまでで言いたいことは大体言ったので、何か思い出したり思いついたらまたこのシリーズに続けて書いていこうかなと思っております。

長文を読んでいただきありがとうございました!


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