育ててくれた両親の為に、祝福を受けるのか。
破棄したら相対者とその家族に申し訳ないから、このまま家庭出発するのか。
敬拝や訓読、嫌でも耳に入る「真の御父母様」と言う単語、今後参加する必要のある様々な教会行事、その一つ一つに引っ掛かりながら生きていくのか。
誰の為に?
神の為?真の御父母様の為?先祖の為?血統の為?両親の為?相対者の為?その先の、生まれるだろう三世の為?
ーーーその先の未来、もし、自分が後悔するとしたら、誰のせいにしたらいいのだろう。誰が、責任を取ってくれるのだろう。神?真の御父母様?先祖?血統?両親?相対者?それとも、三世の子供達?
その誰でもない。自分の人生の責任を取れるのは、間違いなく自分だけだ。両親でも相対者でも先祖でも、ましてや真の御父母様でもない。
だから、人並みな言葉でいい。
「誰の人生でもない、自分の人生を生きよう。」
僕が教会に不信感を抱き始めたのは、高校二年生も終わりの頃だ。僕は主要メンバーとして一大イベントである中和文化祭を無事成功させ、受験のために引退というタイミングだった。
周りの同級生は、部活も辞め、僕より既に何倍も勉強している。彼らに追いつく為、中和祭でメンバーを辞めて後輩に任せると、ずっと前から伝えていた。
しかし、様々な理由を付けては引き留められた。二世部長達にもきっと理由はあったのだろう。でも、兼ねてから「二世はよく勉強し、一流大学に入って社会に認められなさい」と言っていたではないか。そうしようとしているのに、なぜ僕の邪魔をするんだ。
この瞬間、教会は「僕のやりたいことの邪魔をする存在」に変化した。
小さな違和感は以前からあった。
僕はJr.STFという高校生以下の選抜メンバーとして何度も修練会に参加していた。
そして、韓国で行われた修練会に参加した時のことだった。韓国の二世達は結構緩く、日本では禁止されていた男女同士のスキンシップ(とは言ってもハイタッチやハグ程度のもの)が普通に行われていた。
僕も含め、日本からの参加メンバーは正直戸惑っていた。
「韓国人は情に厚い国民性なので仕方がない」とリーダーは説明していたが、「じゃあ日本人は情が薄いというのか」「日本の二世同士ならダメなことでも、韓国の二世同士ならいいのか」という思いは修練会が終わってもなくならなかった。
むしろ、教会の様々な話の一つ一つに引っ掛かりを覚えていく。「何かあるたびに日本Sage、韓国Ageの発言」「理想家庭というハリボテ」「ご子息の分裂」「感謝献金の要請」ーーー。
そして僕は決意した。大学ではやりたいことをやるんだ。
無事大学に入学し、晴れて一人暮らしを始めた僕は、教会からも距離を置き、やりたいことをした。
部活もバイトも、勉強も留学も、お酒だって楽しんだ。
でも何となく、怖くて女性関係だけは避けていた。
しかし、社会に出る前に祝福を受けさせたかった両親に逆えず、21日修練会に参加させられ、遂に卒業間近の2月、僕は祝福式に参加していた。
教会が嫌だと言えなかった。祝福なんて受ける気はないと言えなかった。言ったらどうなるか分からない。
無理矢理CARPや学舎に入れられたり、仕送りを止められたり、大学を辞めさせられたりしたらどうしよう。一生この宗教と付き合っていかなければならないのだろう。僕はそう考えていた。
そして僕は社会人になった。自分自身でお金を稼ぎ、暮らせるようになった。
教会のことなんてほぼ考えることはなくなった。
ふと思った。
「僕の人生は、もう僕が責任を取れるようになった。僕は僕が好きな人たちと、楽しいと思うことをやって生きていきたい。」
なぜそう思ったのだろう。
それは多分、僕はこの世界が大好きだからだ。世界中にある建築物、芸術品、文学作品、思想、生きてきた人々。
アダムとエバが堕落しなければこんな世界にならなかったとはいうけれど、僕はこの世界にある様々なものが面白くてしょうがない。
周りの友人達も、大好きな人たちばかりだ。この人たちが救われないというのなら、そんな教えなんていらない。
神様はいるのか、霊界はあるのか。正直、そんなのどっちでもいい。
世の中、はっきりと白黒が付けられることの方が少ないんだ。
グレーでいい。
グレーであることを認められないのは、ただの理想狂だ。
そして、今の僕に教会は不要だ。
両親は教会が必要だと思い、入信して、祝福を受けた。
でも、僕には不要だ。神や霊界があるかないかも、どちらでも結構。
だからと言って自分勝手に生きている訳じゃない。できる範囲で人には親切にしたいし、社会の為になるようなことをしたいと思っている。そうやって楽しく暮らしているのだ。
教会に行かなくても、いや、行かない方が僕にとっては楽しい日々を送れるのだ。だから不要なのだ。信じるとか信じないとかではなく、興味がないのだ。
僕は、誰の人生でもない、自分の人生を生きる。
僕は初めて両親に思いを打ち明けた。
相対者とそのご両親にも申し訳ない気持ちで一杯だったが、その場を用意してくださったこと、本当に感謝している。
僕はずっと泣いていた。両親は俯いて何も言わなかった。
ようやく終わった。こうして僕と統一教会の10年戦争は幕を閉じた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。僕の経験や当時考えていたことを書いてみたら、思ったより長文になってしまいました。この文章が少しでも誰かの助けになることを願います。また、このような場を作ってくれた方へ感謝の気持ちを伝え、終わりにします。ありがとうございました。
そして、全ての宗教二世に幸あれ。
ME
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