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自分の気持ちと、周りのジャッジを区別する。



私は、脱会済みの創価学会の二世です。


宗教を続けたくない気持ちと、親への気持ちの間で悩んでいる二世の方に、届けという思いを込めて、


親へ愛情や感謝というテーマで書かせていただきます


結論から申し上げますと……

二世で悩み苦しんでいるあなたには、

人を愛する力も、感謝する力も、

ちゃんとあるんです!


活動から離れ始めてから、親や組織の人たちから「感謝を忘れている」とか「恩知らず」とか、言われたかもしれませんが、(私は言われました)


もしくは、これから離れる方は、言われるかもしれません。

先に想像して、自分を責めてる方もいるかもしれません。


「宗教活動をしない=感謝を忘れている」という解釈は押し付けであり、

組織の側のコントロールです。


あなたの愛情を、向こうで勝手にジャッジしているだけです

どうか、自分の気持ちに自信を持ってください

気持ちが通じない人たちに、あなたの思いを無理して証明する必要はないのです。

相手に認められるために、無理をする必要も、本当はありません。


私は以前、人から親切にされると怖い、感謝できないというテーマでカウンセリングを受けました。

実際には、感謝ができていないのではなく、

自分が、活動から離れ始めた時に、親や宗教の人たちに、「恩知らず」「感謝を忘れている」と攻撃されていたことがトラウマになり、人の親切を受け取ると、相手が満足するまで感謝を証明しないといけないような、重苦しい気持ちになっていたことが分かりました。

気持ちを整理して、それは組織の人たちとの関係の中で、感謝とはそんなものだと思い込んでしまっていただけで、相手の解釈がどうであれ、自分が感謝してないわけではなかったのだと、腑に落ちました。


思い返してみれば、そうなんです。子供のころから、自分の家が他所の家とは違うことも、受け入れていたのは、親から叱られることや、ごはんを与えられないのが怖かっただけではなく、子どもとして親が好きだったこと、生んでくれたことや育ててくれたことへ有難く思う気持ちもあったからです。

心が揺れている二世の方は、どうかその親への献身的な愛情を、自分自身にもっと向けられますように。

もう一度言いますが、愛情や感謝は本来、証明するものではありません。

気持ちは心にあり、感じるものです。

人や、人がしてくれたことを思い浮かべた時に、心が温かくなるのが本来の感謝や愛情です。

今まではたまたま、子供のころから、周りが求める形で愛情や感謝を示すのが、当たり前になっていただけなのです。


気持ちがあっても、やりたくないことはやらなくていいし、やりたくない気持ちがあることを尊重して良いのです。


気持ちを自由に持つことを許可すれば、あなたの心は自由になっていきます。


あなたは、あなたの気持ちの一番の理解者になってください。


少しずつ、前に進んで行かれますように。

まとめ
気持ちを自由に持つことを許可する。

・親に愛情があっても、嫌なことは嫌という気持ちを持っていていい。

・愛情や感謝は、あるのを認めて良いし、周りに証明しなくていい。

・周囲があなたのことを決めつけても、受け入れなくていい。

・自分の一番の理解者になる。


みつ

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