この記事は、私個人の体験であり特定の宗教を誹謗中傷するものではありません。
宗教的世界観が壊れて苦しんでいる宗教二世に、ほかにも同じ道を歩んだ人がいるというのが分かれば少しは気が楽になるのではないか、また
宗教が嫌いな二世でも、もしかしたら地獄へ落ちて永遠に苦しむのではないかと恐怖心を持っている方々に少しでも力になれたら、、、と思い執筆しました。
親の神
統一教会の信じる神は実在するのかという問いの前に、統一教会ではどんな神さまを信仰しているかというのを明確にしておきたいと思います。
特徴としては
アダムとエバをはじめとする人類の親としての存在
性相と形状の二性性相を持つ中和的主体
この二つがあげられると思います。まず1ですが、神は自分と同じような創造性をもつ子供を愛したかったとされています。神の周りには優秀な天使長がいても彼らは僕として存在していたので、創造性を持っていなかったのです。
神自身のように創造性を持つ子供を作って、子供の中に自分の要素を発見して親として喜びたかったのが統一教会の神様です。非常に魅力的ですね。親に認められたい愛されたいという欲求を満たしてくれる神観です。
神様はアダムとエバを創造されて親として愛して、彼らの堕落によって裏切られ、それ以降なんとか人類を救おうと摂理の中心人物を立てて導いてきたのです。
アベル、ノア、アブラハム、モーセ、イエスさまを導いて親の心情で人類を何とか救おうと今まで涙してきた神様です。愛と悲しみの神様、素晴らしい神様です。私もその素晴らしい神様を何十年も信仰してきました。
では本当にこの「親の神」が実在するのでしょうか?
人類の始祖アダムとエバ
人類だけでなく全ての種で言えることですが、男1人と女1人の一組から種が始まるということはありません。どの生物でも群れで進化します。そしてある時急に知性のある人類が猿から生まれるということもありません。何万年もかけてゆっくり進化するんです。
つまり、もしアダムとエバが実際に存在していたなら、アダムとエバの親も祖父母も同じぐらいの知性を持っていたし、アダムとエバの他にも知性をもった人間が何千何万人も同時代にいたはずですね。
実際には少なくとも何百人、多分何万人ものアダムとエバが何千世代もかかって人間になったのでトータルでは数えきれないほどのアダムとエバですね?どうやって堕落するんでしょうか?もう堕落どころじゃなくて収集がつきませんね。つまりアダムとエバが実在しなかったし、人類の堕落も無かったのです。
ノアと洪水
じゃノアはどうでしょうか?地学的な根拠から言えば、全世界を沈めるような洪水は起こってなかったんですね。物理的にも聖書に書かれているような大きな箱舟は当時の技術では作れません。
そして、洪水によって地上の動物は死んだでしょうか?全ての現存する動物の先祖が中東から拡散していったパターンは全くありません。つまり、ノアが箱舟に入れて救った動物たちが全ての地上の動物の起源になった事は全く無いのです。洪水も箱舟もノアも存在しなかったんです。
モーセと出エジプト
じゃモーセは?考古学的な根拠から言うと、出エジプトは無かったんですね。出エジプトの時(紀元前12世紀)にはイスラエルは既にカナンに部族として住んでたんですね。エジプトで起きた大奇跡も、何万人でシナイ砂漠を旅した痕跡も全くありません。モーセもヨシュアも実在しなかったんです。おとぎ話だったんですね。詳しくはリチャード・フリードマンのThe Exodusを参照してください。(Richard E. Friedman, University of Georgia)
救世主イエス・キリスト
じゃイエス様は?
原理主義的キリスト教徒ではない聖書学者のコンセンサスでは「福音書」に書いてあるようなイエス様は創作だったとされています。新約聖書では「書簡」と「福音書」にイエス様の事が書いてあるのですが、「書簡」には神の子イエスが命を落としてサタンの犠牲になって復活されたから讃えよということが書いてあります。霊的なものでイエス様が具体的にどんな人で何をしたのかとかには触れられていません。
逆に「福音書」には人間味がある内容になっていて、生い立ち、子供のころのエピソード、弟子連れて説教、魚無限に増やしたり、水の上歩いたり、豚に悪霊入れて水死させたり、などなど面白いストーリーが沢山です。少なくともこの説教したり奇跡をおこなったイエス様というのは実在しなかったというのがはっきりしているんです。
もし実在したとしたら説教をして奇跡を行う「救世主イエス」ではなくて、不幸にも十字架につけられて殺されちゃった「普通のおじさんイエス」だったわけです。
ただ、最近の研究では「書簡」に書かれているイエス様でさえ実在しなかった可能性が高いということが分かってきました。当時流行っていた神話の登場人物をあたかも実在した人物だったかのように歴史性を付与して信仰する『ユーヘモライゼーション』をユダヤ教がやった結果がイエス様だったのではないかということです。死んで復活する救世主っていうのも当時はメジャーだったローマのロミュラスやエジプトのオシリスが超有名でそれから影響を大いに受けたのは歴史的事実です。
詳しくはリチャード・キャリアのOn the Historicity of Jesusを参照。
結論
残念ながら神の定義1の結論としては、アダムエバ、ノア、モーセ、そして多分イエス様さえ実在しなかったんだから、神様は人類の親として摂理の中心人物を立てて導いてきてないという所ですね。統一教会の言うような歴史を通して我々を見守ってきた「親の神」っていうのは実在しなかったわけです。
次回は2の性相と形状の二性性相を持つ中和的主体である神さまについてちょこっと書いてみたいと思います。
TEA
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