崇教真光の2世組み手は、組み手に対しては対人恐怖症や女性恐怖症を発症しない傾向にある
結論をいうと、私がそうだからです。
既にブログで公開していますが、私は極度の対人恐怖症と女性恐怖症です。
一般人に対しては対人恐怖症や女性恐怖症が出るのですが、
崇教真光の組み手(信者)に対しては、不思議と対人恐怖症や女性恐怖症が出ません。
これは、
○同じ崇教真光の組み手同志なら、露骨に気持ち悪がられたりしないため。
○崇教真光では、一般人を悪霊に憑依された汚い人種だと教えているため、一般人を気持ち悪く思うが、組み手は清らかな選ばれた人達だと教えており、組み手と一般人を完全分離する世界観が構築されているため(私は5歳の頃に完全分離する世界観が構築されていました)。
○組み手同志なら、思想信条や物事の考え方捉え方が同じであるため、相手が何を考えているのかすぐわかる。
私はこのような環境に生まれる前からいたので、
若くて可愛らしい恋愛対象となる女性であっても組み手であれば女性恐怖症はあまり出ませんでした。
ところが、一般人に対しては、露骨なほど対人恐怖症や女性恐怖症が出てしまうので、対人関係に支障をきたすのです。
これが、2世組み手が崇教真光を脱会できない原因の1つになっているのです。
2世組み手は、崇教真光によって
『カルト性対人恐怖症』や『カルト性女性恐怖症』を発症させることで、
一般世間に適応出来ないよう(社会不適合者)にされ、教団から抜け出せないようにされます。
そして、教団幹部(訓練部志願すなわち出家)しか道が無くなるのです。
組み手ならばご存じでしょうが、訓練部志願した2世組み手の大部分が、
失恋や進学・就職・人間関係の失敗が原因で訓練部志願しているのは、一般世間に適応出来ないためです。
対人恐怖症や女性恐怖症の方は、心に余裕を持つことで対処出来るようになる
一般人に対する対人恐怖症や女性恐怖症を克服するには。
私は何とかして対人恐怖症と女性恐怖症を治そうと必死に努力してきましたが、中々治りません。
人混みや知らない他人や女性と接したり、過去のトラウマを払拭するために、過去に酷い目に遭ったのは自分ではなく、全くの赤の他人であると自分に言い聞かせたり。
やはり、過去のトラウマを払拭するには時間が必要ですが、そんなに時間をかけていてはまともに仕事ができなくなります。
あるとき、対人恐怖症を受け入れる、つまりどうやったら治るかではなく、
『対人恐怖症を治そうとせず、ありのままの自分を受け入れる』
『対人恐怖症を治療しなくても、どうやったら他人と仲良くなれるのか』を考えた結果、
『心に余裕を持つ』ことが有効だという情報を得ました。
余裕という概念が私にはなかったため、
辞書で調べると、
1 必要分以上に余りがあること。また、限度いっぱいまでには余りがあること。「金に余裕がある」「時間の余裕がない」「まだ席に余裕がある」
2 ゆったりと落ち着いていること。心にゆとりがあること。「余裕の話し振り」「周りを見る余裕もない」
余裕とは、
自分の能力ぎりぎりまで内容を詰め込まずに、
自分の能力の8分目くらいまでで内容を留める。
そして、イレギュラーが起きても大丈夫なように計画を立てておくことだと知りました。
普通の人は、幼少期からの安定した親との絆によって安心感を身に付けるため、自然と心に余裕を持てるのです。
私は幼少から馬車馬のように働かされるのが当たり前の環境の上に、
罰やら地獄に墜ちる・邪霊に憑依される・死ぬ等24時間ずっと寝ている間すら不安に怯える環境で生まれ育ちましたので、心に余裕を持つ・安心感という概念が無いのです。
概念が無ければ作ればよい話。
私は脱会してからというもの、新しい概念を作っては自分のものにして、普通の人に一歩一歩近づいて来ました。
プライバシーの概念もそう。 私が安心感を得るには、 『自分が何をするべきか明らかになる』 『何をすれば人に迷惑をかけないで済むか』 『もし、失敗すれば何をすればよいのか』 これらを知ることが必要になります。
最近YouTubeで婚活サイトの動画を見ることがあるのですが、サイトによってゆるふわな指導をしているところや、厳しい指導をしているところがあり、
ゆるふわな動画を見るよりも、厳しい指導をしている動画を見る方が、きついこと言うなあと思いながらも、なぜか私の場合安心感があるのです。 カルト宗教内部では物事を断言・断定することが普通のため、私は断言・断定する表現に慣れており、『○○した方が良いですよ』よりも『○○せよ!』の方が何をすべきがハッキリしているため、安心してしまうのだと思います。
〜本記事は「元組み手T」様のブログより拝借しております。ブログ元は下記リンクからどうぞ〜
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