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天理教の家に生まれた天理教3世の悩みと教えの矛盾に気がついたきっかけ

更新日:2020年5月6日




自分は天理教の家に生まれて育った天理教3世の男です。

天理教は、日本の江戸時代末期に生まれた神道系の新興宗教です。

自分は幼い頃から、宗教の名の下、神様のお話、教理、考え方、おつとめを

もちろん自分の意思で選択出来る事なく、当たり前のように両親から教えられ、

それに対して何の疑問を持つ事なく幼少期、小中と過ごしていきました。


そして、あるおつとめの最中に一緒になったお年寄りの方が”陽気くらしの本当の意味が分かってなかったけど、今ようやく分かって、それは今目の前の事を楽しむ”と眼から鱗が落ちるようなお話、言葉を頂いて、自分はその出来事がきっかけで小さい頃から教えられてきた事の矛盾を一気に感じる事となりました。


なぜなら、


・自分の家系の因縁が悪い
・因縁が悪いからこの宗教と縁があった
・一寸先は崖、闇で命は無いよ
・この宗教をやらないと助からないよ
・この宗教を信じて祈っていれば必ず助かる
 

など書き出したらキリがないのですが

ほぼ恐怖や不安、ネガティブと言った事で洗脳され切っていることに気が付きました。

この宗教の大きな目標の内の一つに“陽気くらし”という生きる喜びを味わいましょうという明確な目標があります。


ところが実際教会に行くと、所長さんが周囲に怒鳴りつけてたり、そんな甘いと助からないんよと罵声を浴びせてたり、子どもながら怖く感じ、その恐怖に微々っていた事を思い出しました。


そして日に日に教会の言ってる事と、聞いた人の行動を観察するようになり、その観察の中で言ってる事と、実際に行動していることの矛盾を多々気づくようになり、宗教のネガティヴな部分にみんな囚われ過ぎているのではないかと思うようになりました。


そしてその矛盾を強要するようなやり方でどんどん矛盾が起き、現在も家族と離れ過ごしています。(一応教会は所属はしていますが)


そしてはっきり本来の目標の真逆の環境を体験していた事を今までの過ごして来た日々から気付きそこから、宗教の本来の意味や大切な事をする為に他の宗教(キリスト教、仏教、イスラム教、日本の神道)をネットや書籍で調べ始めました。


そして調べ尽くした結果、どこの宗教も驚く程根幹の考え方、思い、の共通点を見出すことが出来ました。


そこから、今の時代の流れも踏まえた上で自分らしく喜びを感じながら価値ある人生を生きるには?そして喜びを感じながら価値のある周りの人に役に立つか?という事を考え始めました。


sukesuke




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宗教二世という言葉を知ったのは数年前。 今、50代です。 大慈会という宗教団体を脱退したのは30年以上前になります。 私は宗教三世です。 青年部という場所に中学生の頃から入らされていました。 まともに反抗期もないような子で、どんなことも逆らうことをしませんでしたが、その頃から少しずつ会に携わる人たちの言動や行動に対して疑問は増えていったと思います。 高校生の時に勧誘活動をさせられるようになり、自分

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