これはエホバの証人2世として育った私の、宗教との決別と再生の話。
同じ境遇の方々に何か伝わればと思います。
母親とエホバとの出会い
80年代、私は母の元へ第二子長女として産まれた。
21で父と結婚し家庭に入った母は義理の家族の下で単身赴任の父を待ちながら、大層孤独だったという。喧嘩も絶えず、何度も離婚を考えたらしい。
将来に不安を覚えながら、不安と孤独に生きる25歳の母にある女性が近づいた。
「この世界に何を望みますか?」
という問いに母は
「子供を安心して遊ばせたい」
と答えた。
エホバの証人としての生活と、鞭
その日から母は熱心なエホバの証人への道を歩き始めた。
物心つく前から週3回の集会と奉仕は当たり前だった。
子供心に何の疑問も抱かずに母に付いてまわっていた。
私の子供の時代は鞭が全盛期で、母の意に沿わない度に生尻に鞭を受けていた。
鞭はリビングの一番目につく場所に置いてあり、泣き叫んでも止めない、血が滲む程叩かれる恐怖に日々怯えていた。 小中学生に上がると、集会に行きたくない、集会中にうたた寝していただけで鞭を受けていた。
心が麻痺していたので、今更思う所は少ないが、少なくとも宗教の絡む母はとても怖かった。
父親の死、母親の再婚
20歳の時に未信者の父が病気で亡くなった。
その頃の私は、手に職をという父の教えで看護学校へ通っていた。
20歳を迎えて、一緒にお酒を飲もうねと父と話してた1週間後だった。
気丈な母を支えようと思い、その為には少しずつでもエホバの側に行かなければと思った。
25歳の時に母が再婚した。
相手は20年程前に在籍していた会衆の兄弟で現長老だった。 夏の大会で再会し、子供達が中々真理の道を歩まないと相談した所から交際に発展したようだった。
再開して3ヶ月で再婚すると言い出した母に私はとても混乱しており、思わず
「(亡くなった)お父さんを愛してないの?」
と聞いた。
返ってきた答えは
「愛してない」
だった。
瞬間、ガラス細工に鉄球が当たり粉々に砕ける様に自分の心が壊れたのが解った。
自分が何の為に、誰の為に母に近づこうとしたのか、解らなくなった。
母が出て行った後しばらく精神的に荒れており、あるタイミングで地元を離れた。母が近くにいる事が耐えられなかった。幸い看護師の免許を持っていたので、自立はできていた。
2〜3年後、ストレスで仕事を辞めたタイミングで地元に帰省した。連日食べれない眠れないの辛い中で、地元でどうしても動けなくなり母に来て欲しいと連絡をとった。
けれど返ってきた答えは
「今から集会があるから無理」
だった。
辛い子供より宗教を選ぶ、宗教に負けたと理解しとても惨めだった。
私の心はまた粉々に砕けてしまった。
兄の死
2021年1月、兄が自死した。
自死の理由は様々あったが、兄も母と義父を憎悪しており、最後に頼る事が出来なかったのだ。
棺で眠る兄に、母は涙も見せず声もかけなかった。
蒔いたものを刈り取ったのだと、聖書の教えを当てはめた。
(因果応報の意味)
手続き等の話し合いの際に、義父は手足を組んで椅子に踏ん反り返っていた。 これがこの男の本性かと心底憎悪した。
母、義父、宗教への憎悪で気が狂いそうだった。
エホバ 、母親との決別
何度も死のうと思った。
けれど私が死んだ所で何にもならない事も理解していた。
何度も考えた結果、母と決別する事を決め、2021年に入り
「私の人生にエホバは必要ない」
と伝え母との連絡先を絶った。
34年の人生で、私の心は何度か壊れた。
血のつながりなど意味はない。 宗教には勝てないのだ。
人生は一度きり。 自分で人生を歩まないといけない。
時には決断することが必要だ。
自分を信じて大切に。
宗教に振り回されてはいけない。
福湯ちひろ