宗教2世の息苦しさはさまざまな物があるのですが、その中でも「アニメやマンガ、またはアイドルなどが好きと言うと怒られる」という経験をした人も少なくないのでは?
かくいう創価学会2世(現在は結婚を理由に脱会)の私もこの経験をしています。
そのため、私自身はマンガを買うことにあまりいい顔をして貰えなかった経験があります。黙って捨てられたマンガ・同人誌は百冊以上。中には借りたものもあり酷い目に合いました。捨てたことを怒れば暴力と暴言が返ってきました。もともと親から女で次子だったという訳の分からないことで虐待されていたのでそれはかなり過酷なものでした。
ですがこういう環境であっても色々戦略に則って、私はマンガやアニメを初め、ゲームや同人誌などを好んできました。
その結果、30年経つとうまく親の抵抗を煽らずにマンガやアニメ、アイドルを楽しめるかのコツと、なぜ一部の宗教がこれらのコンテンツを嫌うのかが分かってきました。
今回は「どうして親たちはマンガやアニメ、アイドルを嫌うのか」ということの考察をご紹介します!
なんで宗教家は「アニメ、マンガ、アイドル」を嫌うのか?
さて、なぜそもそも親を初め宗教を信じる人は「アニメやマンガ、アイドルを嫌うのか」と言うことなのです。
これはズバリ「外部からの常識を持ち込まれては困る」ということに尽きます。
宗教は多かれ少なかれ「原理主義」的な宗教規範を持っています。
この原理主義とは正確にはキリスト教の聖書無謬説(聖書に書かれたことに一切の間違いはない、という考え方)を取った一派のことを指し示していました。
現在では「宗派を超えて聖典とされるもの、聖人の行った言葉や行動に間違いがない」という信仰の形を取っているものを「原理主義」と言っています。
この原理主義の問題に「科学や歴史まで否定する」という大きな問題があります。実際にアメリカの一部の学校ではこのキリスト教原理主義の考えにおいてダーウィンの「進化説」が教えられていません。
対して「世俗主義」というものがあります。
「世俗主義」とは現在の日本が取っている主義です。
簡単に言えば「宗教と政治は距離を開けなければいけない(政教分離の原則)」
「誰でも信じたい宗教は信じて良いがそれを相手に押しつけてはいけない(信教の自由)」
「人の行動や決断を決める際に、宗教的な意義に囚われず、事実と証拠によっておこなうべきである」という考え方です。そのため宗教的な意義を問うよりも先に「事実であるか?」「科学的であるか?」と言うことが重視されます。
これ自体にも問題がないわけではなく、モラルの低下、データ至上主義になる冷徹さ、弱者保護に冷酷になる、選択肢が多すぎて混乱を引き起こす・・・などのマイナス部分もあります。
どちらが良いかは正直分かりません。世界でも絶えずそれらが問題になっているので、簡単に決められるものではないでしょう。
ただ世俗主義の私は「本来こういうことは大人になってから自分自身で決めるべきではないか」と思っています。
しかしこれだけ考え方が違えば必ず齟齬(そご)が起こります。
すなわち「原理主義的な思想の場所に世俗主義の常識を持ち込むこと」「世俗主義の思想に原理主義の常識を持ち込むこと」は「常識否定」という人格否定に似た行為になります。これはあまりにも危険なことなのです。
例えれば熱い油の中に水をぶっ込むようなものです。爆発が起こって大惨事にしかなりません。
しかし常にこの大惨事の中で生きているからこそ、宗教2世はなんとも言えない生きづらさを抱えているのだろうと私は考えています。
そして特に「アニメ・マンガ・ゲーム・アイドル」というのはこの世俗主義の代表みたいなものなのですね。だって日本社会の常識は世俗主義ですから。
原理主義の常識を持って欲しい親たちからすれば、世俗主義の常識を持ち込む憎むべき存在になっているのです。
ですので「原理主義的な宗教、信仰がある人にアニメ、マンガ、ゲーム、アイドルに理解を求めることはやめるべき」です。これは親や他の同じ宗教者に傷つけられるだけで一切の問題解決になりません。
これが成人年齢で自活出来る人ならば宗教と縁を切り、どっぷり世俗主義のこれらのコンテンツにハマりきるという選択肢もあります。宗教はやめなくても自活して自分だけの安全領域でそれを楽しむのもアリです。
しかしみんながみんなその選択肢を選べるワケではありません。年齢が若い、収入や体調など様々な問題で親元から離れられない人もいるでしょう。
そんな時にどうするか。
本やグッズは全て隠すようにしてください。
そして隠してでもいいからそのコンテンツを愛し続けて下さい。
確かに他のファンのような応援の仕方ができないかもしれません。
いいんです、それでも愛することには変わりがありません。何かを愛し続けることは憎むことより良いことではありませんか?
そういう自分を許してあげてください。
自分で自分を責めないであげてください。
そして責める気持ちがあるが故の怒りに振り回され、逆に痛め付けられないようにしてください。
生き延びて、その作品を愛し続ける時間を延ばすことを最優先にしてください。
これは戦略なのです。なにせ江戸時代の潜伏キリシタンもとった戦法です。有益性は彼らが証明しています。
そしていつか、自分が自由にものを言えるときになったときに一緒に叫びましょう!
「私はアニメ・マンガ・ゲーム・アイドルが好きだ!!!」と・・・
谷 和香
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