【僧侶2世】1.1 気がつけば、お寺の隣で生きてきた

 僕の生家は、ある伝統教団の一般的な寺院、その隣に併設されていた庫裏(くり:住職一家の生活場所)でした。庫裏とお寺は繋がっていて、いつでもお寺と行き来することが可能です。門徒さんの葬儀や年会法要(いわゆる「法事」)が家のすぐ隣で行われていることもありました、そんなときは、お寺と庫裏の間にある扉が閉められ、無用な行き来をしないよう暗に示されていました。





 お寺は、僕の日常生活の一部でもありました。覚えている限り、3歳か4歳の頃にはお寺の本堂と、住職一家の仏壇である「御内仏(おないぶつ)」で、お経をみんなで詠む生活をしていました。幼い頃の僕は、点燭(ロウソクに火をつける行為)やお線香の準備にも興味を持っていて、小学生になる頃には少しずつやらせてもらえるようになりました。マッチを擦って火をつけることがなかなかうまくいかなかったことはよく覚えています。


 お寺では、宗教色の強い法要ばかりでなく、門徒さんどうしの親睦を図る会も開かれます。例えば新年会などがあり、お寺の中にある集会場で行われました。小学校に上がる前から、僕はその新年会にも出ることになっていました。参加者のために、お弁当を発注するのですが、今に至るまで続く偏食が当時はもっと酷かったので、お弁当の中に食べられるもの(食べたいもの)があまりなく、それで新年会の時は食事があまり楽しくなかったことを覚えています。参加者の門徒さんは高齢の方が多く、僕はそこにいるだけで可愛がられました。それに加えて、簡単な手品をしたり、歌を歌ったりすれば、門徒さんたちはとても喜ぶのです。嬉しい気持ちがなかったかと言えば、それは嘘になるのですが、全く実績のない人間がさながら人気子役のようにチヤホヤされている感覚もあり、「僕はこんな風に扱われるに値する人間なのだろうか」「もし僕がこの家に生まれていなければ、このように可愛がってもらえたのだろうか」という不安のような疑念もありました。


 そんな、公(パブリック)と私(プライベート)が入り混じった独特の環境で、僕は育ってきました。いずれ、住職の家族として生まれたことの生きづらさについても書くと思いますが、このような生活空間で育ってきたことも、「きゅーどーしゃ」(ここには名前が入ります)という存在が、私的なだけではない、「きゅーどーしゃ」であるということだけで、どこか公的な性質を持った人間、公的な空間で生活している人間であるような、歪な感覚を抱かせていたように思います。

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